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トッキー
2017.8.18 10:44その他ニュース

三浦瑠麗氏の言う「人権を極端に抑圧した総動員体制」の正体

三浦瑠麗氏が、
「大日本帝国が本当の意味で変調を来し、
人権を極端に抑圧した総動員体制だった
のは、一九四三(昭和十八)~四五年の
せいぜい二年間ほどでした」
という自説にツッコミの集中砲火を受けて、
どんな「補足説明」をしたのか、
この際だからもう少し詳しく
見てみたいと思います。

まず三浦氏は8月12日、
ツイッターにこう書きました。

〈国民対政府という構図で政府に全ての
悪をおしつけると民主主義は自省しません。
敗戦前の二年こそ学徒動員はじめ全国民
が動員されましたが、それまで国民は度々
自発的に好戦主義を選んできたのです。〉

学徒動員がされた敗戦前の2年間は例外で、
それまでの国民にはまだ自由があったと
言いたいようですが、そりゃ
「自発的に好戦主義」を唱える国民には、
当然言論の自由も許されていたでしょう。
仮に安倍政権がどんなに言論弾圧をしようと、
政権に都合のいいことしか言わない三浦氏は
最後まで自由に発言できるはずで、
それと同じことです。

問題は、政府の方針に反する意見でも
自由に発言できたかどうかじゃないですか!
三浦氏は、「言論の自由」の意味も
分かっていないんじゃないですか?

続いて三浦氏はこうツイート。

〈戦間期、各国で全体主義の萌芽が見られた。
なぜ日本が止まれなかったのかが重要。
新聞で一括りにされる戦前・戦中には
様々な時期がありました。
語られ易いのは総動員で大学生らが
出陣した最後の2年。その2年を元に
政府と国民の関係があたかもずっと
そうだったように措定して
しまうのが誤りなのです。〉

やたらと学徒出陣にこだわり、
学徒出陣をもって「総動員」となった
ことにしたがっていますが、
普通、「総動員体制」とは
「国家総動員法」が制定された
昭和13年(1938)、もしくは
大政翼賛会および大日本産業報国会が
結成された昭和15年(1940)
からのことを言います。

そもそも、当時は成人男子には
全員兵役の義務がありました。
ただし学生は特例として26歳まで
徴兵が猶予されていました。
「学生」のイメージは、
当時と今とでは全く違います。
当時の学生とは、将来の国家中枢を担う
超エリート層だったのです。

それが戦況の悪化により、
猶予の特例が解除され、
20歳以上の学生が徴兵され、
出征したのを「学徒出陣」といいます。

言うまでもなく、それまでも
一般庶民は普通に徴兵されて
出征していたのであり、
学徒出陣とは、特例を取りやめて
学生を一般庶民と同様に扱った
ということにすぎないのです。

つまり三浦氏は、
一般庶民が徴兵されて出陣しても、これを
「人権を極端に抑圧した総動員体制」
とは全く言わず、
エリート層が一般庶民と同じ扱いを受けて
徴兵されて出陣したら
「人権を極端に抑圧した総動員体制」
と言っているのです。

三浦瑠麗氏の言う
「人権を極端に抑圧した総動員体制」
とは、
「エリートに特権が認められない体制」
のことなのです!!

三浦瑠麗という人が、あまりにも
極端なエリート主義者であり、
差別主義者だということの証明です。

間違いを認められず、
強弁で糊塗しようとするから、
こういう醜悪な本性を
自ら暴露することになるのです。
トッキー

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